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最高裁判所第一小法廷 昭和24年(新れ)519号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人岡田直寛及び同鍛冶利一の各上告趣意は末尾添付の別紙書面記載のとおりである。

弁護人岡田直寛の上告趣意について。

食糧管理法が憲法第二五条に違反するものでないことは、夙に、当裁判所大法廷の判例とするところであって(昭和二三年(れ)第二〇五号同年九月二九日大法廷判決、判例集二巻一〇号一二三五頁参照)、今なお、これを改める必要を認めないので、論旨は採用することができない。

弁護人鍛冶利一の上告趣意第一点及び第二点について。

原審で第一、二回公判期日に被告人を召喚する手続のとられた事跡が認められないことは論旨のいうとおりである。しかし、記録によれば、被告人に対しても右各期日の通知は為されていることが明らかである。元来、公判期日に対する被告人の召喚は、被告人にこれが出頭の義務を負わしめるものではあるが、新刑訴における控訴審では、被告人は原則として公判期日に出頭することを要しないものとされ(刑訴三〇九条)且つ自己のためにする弁論は弁護人でなければできないものとされているから(同三八八条)刑訴三九〇条但書の場合は別とし、控訴審の公判期日に対する被告人の召喚は、召喚とはいっても、実質は、唯だ公判期日を被告人に通知し自ら欲すれば出頭する機会を与える意味しか持たないものである。本件についてこれを見ると、被告人に対しこの通知が為されていると認められること前記のとおりである以上、たとい被告人に対し召喚という形式がとられていなくとも、これを以って直ちに原審の訴訟手続に違法があると断言することはできないわけである。従って、かかる違法があることを前提とする所論憲法第三一条違反の主張は既にこの点において失当である。又、憲法第三七条第一項にいわゆる公平な裁判所の裁判とは、構成その他において偏頗の虞れなき裁判所の裁判という意味であって、個々の事件において法律の誤解又は事実の誤認等により偶ま被告人に不利益な裁判が為されても、それが一々同条に触れるものでないことは、当裁判所大法廷の判例とするところであるから(昭和二二年(れ)第一七一号同二三年四月五日大法廷判決、判例集二巻五号四四七頁)、所論憲法第三七条第一項違反の主張も理由がない。

同第三点について。

所論は単なる刑訴法違背の主張で、明らかに刑訴四〇五条に当らないばかりでなく、同四〇〇条但書は、それに「及び」の辞句を用いているからといって、控訴裁判所が訴訟記録及び第一審で取調べた証拠のみによって直ちに判決することができると認める場合でも、常に新たな証拠を取調べた上でなければいわゆる破棄自判ができない旨を規定しているものと解すべきでないことは、既に当裁判所の判例とするところであるから(昭和二五年(あ)第二九八一号同二六年一月一九日第二小法廷判決、判例集五巻一号四二頁)、論旨は採用することができない。

同第四点について。

所論は、原審で控訴趣意として主張せず、従って原判決が判断を示していない第一審訴訟手続の瑕疵を新たに主張するものであって上告適法の理由とならない。なお、第一審で被告人は裁判所に対し弁護人を私選する旨回答しながら、その弁護届は第一回公判期日の翌日になって初めてこれを提出していることは所論のとおりであるが、第一審第一回公判調書によると、所論弁護人は同公判期日に出頭し、公訴事実に対する意見を陳述し、検察官の証拠取調べ申請に対して意見を述べ、被告人に対し補充尋問を為し、又被告人の為めに有利な弁論をした旨の記載があるから、実質的に考える限り、同審の訴訟手続には所論のような違法があるということはできない。仮りに所論の違法があるとしてもそれは単なる訴訟法上の違反に過ぎないのであって、法定の上告理由には該当しないから、論旨を採ることはできない。

同第五点について。

所論は、量刑不当の主張を出でず、刑訴四〇五条に当らない。

その他、記録を調べても、本件につき同四一一条を適用すべき事由ありとは認められない。

よって、同四〇八条に則り、裁判官全員一致の意見で、主文のように判決する。

(裁判長裁判官 真野 毅 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 岩松三郎)

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